最近、これはどう考えたって、間違ってるよ!!と憤りが続き、すっかり悲しい気持ち
になっていたので、(※闇営業、宮迫会見とは関係ありません(泣))そんなとき
「召使い達、心からおそれ敬って主人に従いなさい。善良で、寛大な主人だけではなく、無慈悲な主人にもそうしなさい。」(Ⅰペトロ2:18)
という箇所を読み、「ほんとかよ?!できっこないよ。ほんとに無慈悲なって原語に書かれてるのか?!」と思い、調べてみた。
無慈悲と訳されている言葉はσκολιος(スカリオス)で、新約聖書には4回でてきます。
①ルカ3:5「(イザヤ書の引用)荒れ野で叫ぶ声がする。〜曲がった道はまっすぐになり」
②使徒2:40「邪悪ななこの時代から救われなさい」
③フィリピ2:15「よこしまな曲がった時代」
④Ⅰペトロ2:15 同上
crooked(曲がった)という意味に近いです。
無慈悲なとも意訳ですが受け取れます。
そうなんですね。神様のみこころは、
「悪人にも、善人にも太陽をのぼらせ、雨を降らせる」ことを願う方でした。
自分自身が悪人側となっている時だってたくさんあります。
心では許せないことは日々たくさんありますが、みことばゆえに自分がまず変われるように祈ります。
ちなみに、この言葉はヘブライ語ではעקבといって、語根はヤコブが兄のかかとを掴んだときに用いられています。
「ヤコブは母の胎内にいる時から、兄のかかとを掴み、力を尽くして神と争った」(ホセア12:3)(→take by the heel)
そこから「騙す」などの言葉に派生されます。
聖書ヘブライ語ギリシャ語に触れよう!
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